わたしは爪先から少しずつ湯船に体を沈めていった。
腰を降ろす度に波々と注がれた湯は溢れ出し、
辺りは深い霧に包まれたかのようだ。
浴槽の淵に頭を預けたわたしは、霧中に浮かぶ天井を見上げ
ひとつ大きな息を吐いた。


 外では鈴虫だろうか。
涼しげな鳴き声でハーモニーを奏でる。
時折ザワザワと草木が風に揺れる音も聞こえてくる。
天井からはポタリポタリとリズムを刻むかのように滴が落ちてくる。
わたしは暫く自然が織り成す背景曲に耳を澄ませていたが、
再び大きな息を吐くと静かに瞳を閉じた。

 やがて自然の合唱は聞こえなくなる。
滴のメトロノームもいつのまにか止んでいる。
一切の雑音が耳に入らなくなり、無音の空間に。

そして目の前には、少しずつ少しずつ
わたしだけの世界が広がりはじめた…―――



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