12.回帰


 白い海を漂う一隻の小舟。
年老いた男の影がその上でゆらゆらと揺れている。

辺りは深い霧に覆われているが、
男の姿をはっきりと確認することができる。

全身黒い衣装に身を包んでおり、
胸元には何らかの装飾が施してある。
深く頭巾を被っているので表情は定かではないが
口元には白く立派な顎髭を蓄えている。
私はその場で「おおい」と呼びながら
持っていたランプを上下左右に動かし合図を送ってみた。

彼はこちらに気が付くと何も言わず、ゆっくりと舟を近づけてきた。
近くに来て初めて分かったが、彼は身長が私の半分ほどしかなかった。
この小柄な老人は私に深々と一礼すると、
なにやら紙切れのようなものを私に差し出した。
大きさは手のひらより二周りほど小さく、どこにでもある藁半紙のような紙質だ。
その中央には不思議な光沢を放つインクで”通行証”と書かれてある。
受け取った直後こそ少々戸惑いはしたが、
私にはその言葉の意味することが朧げに解っていた。
そしてどこか遠い記憶を辿るように紙を見つめていた。

我に返り、ふと老人のほうに目をやると、
彼と乗っていた舟はその場から忽然と消えていた。
ただ私はさほど驚きはせず、遂今し方まで居たはずの老人に一礼すると
もう一度手にしている通行証と書かれた紙を感慨深く眺め、
思いを馳せながら大切に胸ポケットへとしまった。


 暫く、この小舟に身を任せてみようか…――。


私がランプの灯りを消すと、辺りは再び深い静寂に包まれた。



-END-

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